CMの記憶で買っている

テレビが好きで、今もわりと見ている。CMも、なんとなく覚えている。スーパーやドラッグストアの棚の前で、広告で見たことのあるパッケージが目に入ると、それを手に取りやすい。初めて見る商品より、見たことがある商品のほうが安心できる。

この安心は、別にだまされている感覚とは違う。企業が広告にお金を使って、何度も見せて、覚えてもらう。そういう努力が効いているだけだと思う。だから、広告そのものに強い不満があるわけでもない。

ただ、自分の買い方が、ほとんどそこで決まってしまっていると気づくことがある。棚の前で迷っているようで、実際は迷っていない。見たことがあるかどうかが、判断の大部分になっている。

安心はあるけど、楽なままになる

心理学の言葉でいうと、システム1で選んでいる、という状態に近い。速くて、手間がかからなくて、普段の生活には合っている。買い物のたびに全部を調べていたら疲れるし、時間もない。だから、楽な判断が働くのは自然だと思う。

でも、その楽さは、良くない点があっても見えにくい。

たとえば、効果がほとんどない商品を買っていたとしても、気づきにくい。使い続けて、なんとなくこんなものかと思ってしまう。あるいは、同じくらいの満足度で、もっと安い商品があるかもしれないのに、そっちに目が向かない。広告で見たというだけで安心して、比較を止めてしまう。

自分が選んだ理由を、説明できないまま買っている感じが残ることがある。それが少し気持ち悪い。

誇大さや成分を見て決めたい

最近は、CMの印象で判断するのをやめたいと思っている。広告の上手さではなく、その商品が過度に誇大なことを言っていないか、成分や中身がちゃんとしているか、そこを見て決めたい。

もちろん、全部を完璧に見抜けるわけではない。成分を見ても分からないことはあるし、メーカーの説明だけでは判断できないこともある。それでも、少なくとも自分が何を根拠に買ったのかは、少しは言葉にできる状態でいたい。

高い買い物のときは、自然と調べる。家電とか、長く使うものとか。問題は、安いもののときだ。洗剤とか、サプリとか、日用品とか。値段が低いと、調べる気持ちも一緒に下がる。結果として、広告の記憶に任せた買い方が増える。

調べて選ぶ人が少しうらやましい

調べて買い物をしている人を見ると、少しうらやましくなる。何を選んだかだけじゃなくて、なぜそれを選んだかをさらっと話せる人がいる。成分や仕様の違いを理解していて、この条件ならこれがいい、と言える。

その話し方が、誇らしげに見えることがある。自慢というより、自分の判断を自分で引き受けている感じがある。知識も増えていくし、その分野に少し詳しくなる。買い物が作業じゃなくて、もう少し別のものになっているように見える。

自分も、ああいう選び方ができるようになりたいと思う。

安い買い物でも、少しだけ立ち止まる

だから、システム2をもう少し使う。時間をかけて考えるほうの判断を、安い買い物でも一回は動かす。毎回じゃなくてもいいし、全部の商品でやる必要もない。でも、たとえば今までCMの記憶だけで選んでいたカテゴリを一つ決めて、そこだけは成分や評判を見てから買う、とか。

そのくらいなら、生活の邪魔にならない。調べた結果、結局いつもの商品に戻ることもあると思う。でも、そのときは、戻った理由が残る。広告で見たから、ではない理由が、少し増える。

今のところは、それだけで十分だと思っている。買い物のたびに正しい選択をしたいわけじゃない。ただ、楽なまま進んでいる時間が長すぎるのは、たぶん自分に合っていない。最近はそう感じている。