散歩中に考えが整理されるようになった
昔から、移動中はだいたい何かを聴いていた。音楽やラジオを流して、移動しているあいだは常に音声が流れていた。特に目的があったわけではなく、移動中に何かを聴くことが習慣になっていた。
それを悪い習慣だと思っていたわけではない。ただ、終わったあとに少し落ち着かない感じが残ることが多かった。疲れているわけでもないし、満足しているわけでもない。何かを聴き続けている状態が、自分には合っていないのかもしれない、という感覚だけがあった。
インプットだけの状態が合っていなかった
この感覚の正体は、あとから考えると説明しやすい。昔、サービス開発やスタートアップ系の本をよく読んでいた時期があり、その頃にも似たような状態があった。
『リーン・スタートアップ』のような本を読んでいると、内容は理解できるし、納得する部分も多い。でも、読んでいるあいだは、実際に何かを作ったり試したりはしていない。ただ読んで、分かった気になっている時間が続く。
その状態がしばらく続くと、理由ははっきりしないけれど、落ち着かなくなってくる。今やっていることが間違っているとも言えないし、無意味だとも思わない。ただ、インプットだけが続いている感じが、自分には合っていなかった。
移動中に何かを聴き続けていたときの違和感も、それと同じ種類のものだったと思う。
散歩を始めてもやり方は変わらなかった
ダイエット目的で散歩を始めたときも、基本は同じだった。歩きながらイヤホンをして、音楽やラジオを聴き続けていた。歩くこと自体よりも、移動しているあいだに何かを聴いている時間、という感覚が続いていた。
ある日、嫌なことがあって、その状態でいつものようにイヤホンをつける気になれなかった。理由ははっきりしないけれど、その日は何も聴かずに歩いてみることにした。
何も聴かずに歩いた
何も流さずに歩き始めると、最初は落ち着かなかった。歩いているだけの時間が長く感じるし、特に何もしていないように思えて気になった。
ただ、そのまま歩き続けていると、考えている内容が一つの出来事に集中していった。そのときに起きた嫌な出来事について、同じことを繰り返し考え続ける時間になった。
考え続けると分かることが出てくる
30分とか1時間とか、答えが出るわけでもないことを考え続けていると、完全に解決するわけではないけれど、何が気になっているのかは少し分かるようになってきた。
嫌なことは嫌なままだけれど、どの部分が嫌なのかは、なんとなく言葉にできる状態になる。訳が分からないまま嫌だった状態から、理由は曖昧だけれど説明はできる、くらいには変わった。その変化だけでも、少し楽だった。
何も聴かない散歩が続いている
それ以降、散歩中は基本的に何も聴かないようになった。気分が乗らない日はラジオを流すこともあるけれど、何も聴かずに歩く時間の方が多い。気づいたら1年か2年くらい、そんな状態が続いている。
最初の「何か聴きたい」という感覚を一度やり過ごせれば、そのあとは意外と平気だった。常にインプットしていないと落ち着かない、という感じも、少しずつ弱くなっていった。
考えたことをそのまま残す
最近は、散歩中に考えていることを音声で残している。日記のようなものをやりたいと思っていたけれど、机に向かって書く形は続かなかった。
歩きながら、そのとき考えていることをそのまま喋って残す、というやり方だと続いている。話している途中で、別の考えが浮かんでくることもある。考えているだけのときよりも、話したあとに自分が考えていた内容を把握しやすくなることが多い。
今はこのやり方を続けている
何も聴かずに歩いて考える時間と、考えたことを記録する時間を組み合わせて使っている。
これがこの先も続くかどうかは分からないけれど、今はこういうやり方で散歩の時間を使っている。