言った言葉はそのままの意味として扱われることをやっと理解した

最近、やっと腑に落ちたことがある。人は、言われた言葉を基本そのまま受け取る。思っていたより、そのルールで世の中が動いている。

昔の自分は、状況とか、文脈とか、配慮とかが含まれているから、裏側を読まないといけないと思っていたし自分の言うことも当然背景も含んで理解されるものだと思っていた。だから発言は、その人の考えをそのまま写したものというより、そのときの都合で出てくるもの、くらいの感覚だった。

たとえば「楽しい」と言っても、本当に楽しい場合もあるし、相手のためにとりあえずそう言う場合もある。そういう揺れを込みなのが当たり前だと思っていた。

でも現実では、受け手はまず言葉どおりにそのまま受け取るのが当たり前だと言うことを昔のことを考えていることにふと気づいた。

体育の授業でムカついた一言

高校の体育で、先生に「お前学習しねえな」と言われたことがある。何が原因かは覚えてないのに、ムカついた記憶だけ残ってる。

当時はたぶん、その言葉をそのまま「お前は学習しないやつだ」と受け取って馬鹿にされたと思ってむかついていた。でも今なら、先生が言いたかったのは「理解したなら試せ」「同じことを繰り返すな」みたいな話だったのかもしれない、とも思う。自分は、言葉を攻撃として受け取った時点で、そのときの僕はそのままの意味でしか受け取っていなかった。

妹の「可愛い」を否定した日

年の離れた妹が生まれて、当時の自分はわりと可愛がっていたと思う。

ある日、親に「本当に可愛い可愛いと思って育ててるんだね」と言われたとき、なぜか反発したくなってしまった。分かった顔をされたくない、決めつけられたくない、みたいな感覚だった。

勢いで「いや、そこまで可愛いと思ってないよ」と言ったら、親がかなりショックを受けていたように見えた。

自分の感覚では「可愛く思ってないわけないし、分かるだろ」と思っていたけど、親からすると、こっちが言った言葉がそのまま残る。言い直したくなっても、最初の一言が先に届いてしまう。

そのときの親もそのまま受け取っていた。

受け取る側は、そこまで推理しない

大人になっても思い返すと、似たような状況はあるなと思う。例えば、彼女と別れた友達が好きな人ができたからフラれたからもうどうしようもなかったみたいなことを言っていても、それは理由の一つを言っているだけだから、どうしようもないことはないはずだと思うけど、言われたことをそのまま受け取っていることが多かった気がする。

思い返してみると受け取る側はそこまでそれが何を意味しているのかを推理しないのが普通で、推理している前提で会話すると全然違う情報が伝わることになってしまう。東野圭吾を読みすぎた。

今のところの結論

ここまでの経験を踏まえると、自分が何かを伝えるときに「察してくれる前提」にしてしまうのは危ない。伝えた言葉が受ける側からしたら、理解するための中心の材料なんだから当たり前だ。

一方で、自分が受け取る側に回ったときは、言葉どおりに切り捨てるだけだと、もったいない場面もある。相手が雑に言っただけかもしれないし、言い方が下手なだけかもしれないし、そのときの状況が影響しているかもしれない。想像できる範囲で背景を考えたほうが、こちらが楽になることがある。

だから今のところの結論は、自分が伝える時は甘えず正しい言葉でそれが全てだと考えて伝え、自分が受け取るときは背景を想像しながら受け止めるようにする、というものにしている。